不遇なフグ

どうしてこんな

愛のテーマ

久々に夢ではない記事 脈絡も結論も曖昧だからツイートの連投ぐらいに思ってください

 

12月中旬、生理による鬱が来た 誰にも愛されていないことに絶望していた

 

今多くの人が愛されている理由は、その人のこれまで愛されてきた人生が下地にあるからだと思う 愛され方が分かっており、誰かに愛されても驚かず当然のように受け入れられる者だけが愛を得ていると思う

今まで誰にも愛されなかった人間がいきなり愛されると人生のバランスがおかしくなる 愛され方や愛を返すための振る舞いが分からず破滅する 少しの人間に愛されるのもしんどい まあそんなことはないから考えてもどうしようもないか

多くの人に愛され、そこに多少の優劣がある状態が理想であると思う でもそうなるには生まれ直して愛され人生を送るしかない つまりもう手遅れということ

 

自分は今までの人生において愛されてきた試しがないと思う

家族にはパラサイトシングル予備軍になるまで経済的援助をしてもらえた、しかし愛を実感することはなかった もちろん感謝しているが、今まで愛ゆえの何かを受け取った確固たる実感はない

小中、思い出したくない いつも浮いていたか空気にされたことだけは言える 常に不安だった

高校の同級生たちは優しかった、優しかったが、愛してくれていたわけではなかった その場にいるときしか気にかけられなかった 今では誰からも連絡が来なくなった 唯一の友達とは辛うじてLINEが続いているが、彼女から見た自分の優先順位は低い

高校にいる間、優しさを愛と勘違いし、それを嚙みしめて、狂ったように「みんな大好き」と伝えていた それは「みんな大好き(だから捨てないで)」という祈りだった 祈りは見事に届かなかったのだ 見捨てられたのか、元々見捨てられいたことに気付けないぐらいみんなが優しかったのか

大学、特に活動は言わずもがなひとり 誰にも気にかけられたことがないし、こっちも願い下げ でも愛されている人の地位がないと動きにくいし、周りの愛されている人たちと自分を比較してしまって苦しい

 

この苦しみはどうすればいいのか 「愛されなくても生きていける!」なんて胸を張って言える強さなんてない!寂しいことなんて当たり前 たとえ醜い容姿を持ち、道化に徹しなければならない身でも“そう”なのだ

だから、自分なりの解決策として、生活における些細な優しさを疑いなく受け取りそれ以上求めないことにした こうすることで、過ごす時間に見合った愛に期待しなくなり、自ずと関わりの薄い人のその場限りの優しさに含まれる愛の方を信用するようになるはず 関わりが薄ければ薄いほど、些細な優しさと愛は現実味を帯びる、と思う

そして、生活における「いいな」と感じた物事を愛することで、本来愛されることで埋まるとされる心の隙間を満たすことにした 赤の他人の振る舞いや言葉、音楽のニュアンス、本や映画や絵画、手書きの張り紙、地域の行事、犬などの生き物、空気の温度や匂い、料理、自然、何かが生み出された理由など インターネットにいる人たちが教えてくれるものでもいいし、推しとかでもいいと思う

 

全部悔しいし憎いけど、それでもまだ自分の中に優しさや正気が残っているのなら、大きい恒常的な愛を求めず、小さなことを愛として受け取ったり、自分から小さなことを愛していくことにする 最後に自分のその生き方を愛すことができれば完璧だ!強がりかもしれないが、その強がりだって愛することもできる

意地とプライド 太陽になる