不遇なフグ

どうしてこんな

紅茶を飲む

11月頃から、早起きのきっかけにするために朝紅茶を飲むことにしている 今、早起きは出来ないが朝に紅茶を飲む習慣はついた 飲むとなんとなくいい気持ちになる

 

とはいえ、時間と湯の量は守っていること以外得にこだわっている点はない 

茶葉は普通のスーパーに売っているようなティーバッグ 鍋で湯を沸かし、ミスタードーナツでポイントと交換したカップに入れ、茶葉を入れて待つ 砂糖は棒シュガーの半分入れている

心の隅では「これでいいのか?」「本当にこだわっている人が見たら笑うだろうな」と思っていた

 

正月、祖母の家で祖母、母、伯母、いとこと話しているときに、紅茶の話になった どうやら祖母が知り合いから茶葉を頂いたらしい 「あんま飲まんし、あげるわ」と言っていたので少し譲ってもらった

話は、アールグレイが好きであることを共感し合い、祖母が頂いた紅茶のブレンドについて話したぐらいで、どこの茶葉がいいとかどうやってお茶を淹れているかはあまり話題に出なかった 伯母は紅茶にはちみつ、生姜、レモンを入れて、いとこはストレートで飲むらしい

ひとりひとり生活における紅茶の役割が違ってとても楽しいと思った そして強いこだわりを要求されず安心した いい言葉が見つからず上から目線のようになってしまったかもしれないが、なんでも自分でめいいっぱい楽しめるならそれでよくて、ひとりひとり色んな楽しみ方があって、自分はそのことを素敵だと思えることに気付いた

 

祖母には抹茶も淹れてもらった 茶碗はかなりこだわりがありいつものうろたえが戻ってきそうだったが、茶葉は普通に売っているものだった 祖母は「こんなんね、普通に売ってるやつでええんよ」と言っていた 自分はそれで良かったし、淹れてくれた抹茶はめちゃくちゃ美味しかった

 

本当は、紅茶を飲むうえで、かけるお金や茶葉や器具の質は特に興味が湧かない限りあまり考えなくてよく、自分がいい気持ちになることが大事なんだと思う この道のプロにとってはそうもいかないだろうけど、自分にとっては何を競うわけでもなし、ただ楽しく飲むだけなのだ

それにこんなこと言わない限り馬鹿にされない 祖母、伯母、いとこに話したのと今このブログに書き込んでいるのはあるけど、「これを話す/読む人は馬鹿にしてこない」と信頼しているので

人生もこうなればいい 全てのことにおいて「人と戦わなくていい、自分がいい気持ちになればそれで」という気持ち、豊かな心、成長させたい