不遇なフグ

どうしてこんな

過去が好き

最近は「本当の春が来た!」という天気 で嬉しい 

コロナのせい?おかげ?で練習場所は常に窓を開けて換気をしている 春風感じ放題 

今のこの天気は高校の外か中か分からないくらいの練習場所を思い出させる 美しい思い出だ 

桜が咲いていて、花壇の花々の匂いを感じる 優しく射し込む陽光 朝の声出しが聞こえる 埃っぽい講堂 そこかしこに響く皆の音 合服のふんわりブラウス 花粉症の友達 食堂で爆笑した話 帰りの坂道 6時でも明るくなってきた 駅前のローソン いいなぁ

いいな…

 休み明けで心が荒みきっています やっぱり人はこわいと思った 3週間程で養った心はバラバラに砕け散ってしまった 

もう戻らないと思ったら本当に悲しいけど、「もしかしたら何かに使えるかもしれない…!」と拾い集めています 

 

「皆は覚えていないけれど、私は覚えているよ」という思い出が多すぎる それは悪質で気持ちの悪いものだと思う 

他人に自分が思い出として残る価値がなかったことや、思い出や過去ばかりに生きていられないことを自覚せねばならない 

思い出や過去ばかりに生きてしまうと、どうしても上澄みの綺麗なことばかり目がいってしまう 

もちろん辛いことも心がボロボロになるぐらい刻み込まれている これを忘れたふりなんてしたら心がちぎれる 

しっかり上澄みだけじゃなくて下の今と似ているかもしれないもの、前進する泥臭さ、人間や社会の汚さ、理不尽な苦しみを直視せずともチラ見ぐらいしなければならない でもチラ見だけでいいよ

 

 

昨日風呂に入りながら今後の生き方について考えていた 

暗い話や変に真面目な話ばっかりでごめんね 

一人で生きるなら、そんなに生き急がなくてもいいなと思った 

何もかも今やらなければ!という強迫観念が働きすぎていた 

そして一生(社会的に見て)成功者になれないのに無駄に変に努力をしようとしていた 

 

「今しか出来ないこと」の円と「したいこと」の円の重なりは本当に狭いから、全部焦ってやらなくていい 

演奏技術は一番になれるわけがないから無理に自分を痛めつけず役割を果たせるレベルになればいいと思っておこう  

学を深めるのもゆっくりでいい 落ち着いてから、趣味としてじわじわと範囲を広げて深度を深めていけばいい 

今ももちろん勉強はするけれど、完全に研究全振りの人間と比べてはいけない 敵うわけがない 専門家と比べてはいけない 敵うわけがない

デパコスもハイブランドの服も靴も髪を染めるのも自分でしっかり稼げるようになってからでいい 整形も金銭面で余裕が出てからにする 今手を出していいものではない 破産する

自分だけの失敗でそんなに落ち込まなくていい 他人が関係する失敗は今まで通りになってしまうだろうけど 

家と一人での外出や散歩以外では「よそ行きの心」 で人間と接する

本音は言わない 絶対に口に出さない 嘘がバレるから口数も減らす 笑顔も自然にする 反論は出来るだけせず「そうだね」と答える  

 

ただ、劣等感を持っているもの全てにおいてできるだけのことはやっておく 

これでしばらく様子を見てみる 

変にポジティブになってしまった それでも死ぬ勇気がないならこうしなくちゃな 

 

人生はこれからもアホみたいに時間がある!

ずっとこの先もひとりで生きるなら!